2008年12月30日火曜日

文房具 云々      2008.12.30

 2008年もまもなく終わり。今日12月29日は僕の誕生日。生まれてこの方23011日を生き続けてきた訳だ。長いような短いような複雑な気持ち。別に意識はしてないが足跡は残ってない。
 さて、今年の買い物のベスト3を見てみよう。
 まずなんと言っても一番によかったのがPentelの TUFF 0.9と言うシャープペンシル。長さは14㎝、そこそこ太い。芯は0.9㍉とこれも太い。これに2Bの芯をつけると何でも書ける気がする。サイズもちょうど良い。しかも安い。2Bの芯を会わせて買っても5〜600円ぐらい。




 もう一つがCASIOの電子辞書「EX-word XD-SP6700」。
 僕は電子辞書を馬鹿にしていたが、使ってみるともはや手放せない。分からないことはこのXD-6700に効けば、基本的な事は分かる。この二つはまず僕のベーシックかな。
 それともう一つ大事なのが手帳だ。この10年あまり、いろいろ使ってみたが2番目に良いのがファイロ・ファックス。これより良いのがフランクリン・プランナー。何が良いかというと横幅がおよそ1㎝広いのと、1日2ページであることだけ。他はファイロ・ファックスで充分だ。
 大型で良いのはなんと言ってもタイムシステム。これは本当に使いやすい。しかし残念なことにノートのページが左ページで、スケジュールが右ページなのだ。つまり、何かメモしたいときには必ずリンクが邪魔になる。それが僕には会わない。勿論、これでいい人はいるだろう。その1点だけで僕はタイムシステムを使うのをあきらめた。



 そして酒飲みには錫でできたぐい飲み2つセットが良い。しっかりとした重さと入る容量。黙っているとどんどん飲んでしまう。このぐい飲みは大きい方に小さいぐい飲みを逆さにして入れるとぴったりする。
 もう一つ。パーソナルデスクだ。(錫のぐい飲みがのってるデスク)幅84×奥行き50×高さ30で、折りたたむと高さは8.2になる。おもさは10㎏。ほどよい広さで使い終わったらたたんでしまっておけるのが良い。また、この重さもこのデスクの安定を保証している。
 錫のぐい飲みとパーソナルデスクは小学館の「大人の逸品」のオンラインストアで購入。買ってよかったと本当に思う。
 文房具はきわめて使う人の趣向に左右される。それだけに使う人は自己主張をきちんとしないと使いにくいノートやペンを使わされる。また、文房具は使っているときは、それを意識しない方が良いし、そうあるべきだ。趣味と実用を無意識に両立させている文房具。おもしろい。

2008年12月1日月曜日

発表会が終わって・・・

 僕がレッスンに通っているヤマハの吉祥寺センターの発表会が今年もあった。僕はアンサンブルとJAZZに出演。

 今日の僕は演奏にいまいち身が入らなかった。とはいうものの、今年はまだ誰にも言っていないが考えることがあってクラリネットのレッスンを整理したいと思っている。

会費が高いのもあるし、レッスンに通う時間もあるし、レッスンで僕のしたいことが制約されるのが多々あるので考えている。だからだろうが、今年の発表会はイマイチ気分が乗ってないし、演奏もひどかった。

そしてまたヤマハは文部科学省になったようで、レッスンを画一化しようとしているのが気になる。 僕にとって音楽は画一化するのではなく習っている人たちの希望なりレベルや演奏したいことを教えて欲しいと思っている。特に「大人の音楽教室」を標榜しているヤマハはなおさらのことだ。


 やっぱりヤマハは極端に言えば「国の出先機関」でしかないのだ。なぜなら、習う人のことを考えず、ヤマハのレッスンの仕方を全国画一的にするからだ。音楽というものは国や、ましてやヤマハごときに規制されるものではないし、僕はもっと自由に音楽を楽しみたい。


そんな考えがあるので、どうも調子が出ない。

 音楽も政治も「資本の論理」に左右される。だからこそ僕たちは音楽の画一化に反対し、フリーダムな、好きな音楽を学ぶ権利を今こそ主張しなくてはならない。

 ヤマハの思い上がった考えは断固拒否する事が重要だ。


 本当は今日に発表会の感想を書くつもりだったが、発表会後のレッスンがおかしくなりそうなので方向転換してしまった。

                                                (2008.11.30記)

2008年11月24日月曜日

麻生総理のあっそう

32年前に「ペットが殺されたから」という理由で元事務次官を殺した事件。ペットよりも人間の命を軽く考える思考。僕には全く理解できない。

 人間の命を大事に考えないことを無意識ながら行っているのが麻生首相だ。漫画が好きなのは良いけど、実生活を漫画の世界に入れて欲しくない。というのは無理な注文というもの。

 漢字は読めない、人の心に関心を持たない、ひたすら自身と財界にだけ関心を持つ政治。「何とか金」という1回こっきりの2兆円のばらまきの後に3年後から未来永劫にわたる消費税の増税。これを持ってなにが「庶民首相」なのか。先日の早稲田の居酒屋での飲み会も実は自民党「青年部」だけの集まりであったことは承知の事実。まさにパフォーマンスもここまで来たか、ということだ。そこまでしないと今の麻生内閣は崩れるのだ。

 昨日までペルーのリマで開催されたAPEC。麻生首相は各国首脳と会談をしたが、誰が麻生首相との会談をまじめに受けたのだろうか。僕はまじめに受けた首脳の国を信じることは出来ない。(2008.11.24)

2008年11月14日金曜日

麻生「おままごと内閣」はどうやって政権をほうりだすのか

小泉「郵政改悪」政権、安部「放り投げ」政権、福田「無策」政権と続いてきた日本政府は、ついにどんずまりにまで来てしまった。麻生「無能」政権と言うべきか、「ボクちゃん」内閣と言うべきか、早い話が子どもたちのおままごとのような政治が続いている。

 先日の「定額給付金」というものはいったい何なのか?「国に金がないから消費税を上げる」と言いながら2兆円もの「つかみ金」的なものを何の根拠も示さずに国民にばらまくという。何を考えているのだろう。何にも考えて無くて、その場その場の思いつきで口走り、それを「喋ったから実行しなくっちゃ」とばかりにしてるのだろう。そして、3年後には消費税という悪税の上昇が待っている。「金持ちをさらに金持ちに、貧乏人をさらに貧乏人へ」という麻生内閣の政策が実施されるのだ。

 11月13日の各紙の社説は一斉にこの「定額給付金」の事について疑問を投げかけている。また、テレビの街頭録音でも有権者は「あまり意味がない」という発言をしている。このTVの有権者の発言を「TV局が恣意的にとりあげた」というのは全く当たらない。有権者のほとんどの声だから仕方がない。

 麻生内閣が発足して半年が過ぎた。その間、首相の言うことと、担当大臣が言うことがかなり違っているのは、この内閣がまとまっていないことの証であり、国民の麻生内閣に対する支持・求心力よりも内閣自身で麻生氏に対する信頼感がないからではないだろうか。すでに末期的内閣である。

いつ、どうやって麻生氏は政権を放り出すのかが「注目されるところ」であろうし、楽しみだ。

2008年11月10日月曜日

JAZZは聞くものか?

11月30日に僕が習っているヤマハ音楽教室の発表会がある。
僕はJAZZとアンサンブルの教室で習っているので、両方に出演する。
曲目はJAZZは「鈴懸の径」、アンサンブルはモーツァルトの「狩り」。

クラシックのことはともかくとして、JAZZはアドリブがあったりソロがあったりで大変。今回はアドリブはないけどソロはしっかりとある。

JAZZの演奏をしていていつも思うんだが、JAZZは「聞くのが一番」と思う。

ブランデーグラスを片手に誰もいない部屋でロッキングチェアーに背をもたれて、暖炉の火を見ながらJAZZを聞く・・・。そして、時折ため息をつく。

でも僕には出来ない。もちろん、我が家には暖炉はないけど。

JAZZを聞いていると「えっ、そんなフレーズってありなの?」とか「格好いいなあ」などと思ってニコニコしてしまう。
そして「よし、今度のレッスンの時に吹いてみよう」などと、大それた考えを持ってしまうから。

絵画にしろ、写真にしろ、小説でもいい。
自分の気持ちやいいたいことを「表現できる場」があることは素敵なことだと思う。僕がJAZZクラリネットを始めたのも、もちろん、先生のお誘いがあったから(今では反省されてるかもしれないが)であり、音楽で自己表現が出来るからであると、今更ながら思う。

そしてクラリネットを吹いてるときは実に気持ちの良いものである。

やぱっりJAZZは演奏するに限る。

2008年11月8日土曜日

田母神「論文」と防衛大のレベル

 現役の航空自衛隊の最高幹部である空将・田母神航空前幕僚長が、自身と関係の深いと言われるホテル・チェーン『アパグループ』主催の「真の近現代史観」をテーマとした懸賞論文に応募して300万円の賞金を獲得したという。

 その「論文」なるものは「日本は侵略国家であったのか」というタイトルで、僕のプリンターで9枚になるものだが、文字のポイントが大きいので、人によっては6ページで収まるぐらいの物である。

 一読して感じたのは、この「論文」のどこに新しさがあるのか、ここに書き連ねた事柄を具体的に証明する物はいったい何なのか、ということである。

 たとえば「1928年の張作霖列車爆破事件」は「少なくとも日本軍がやったとはできなくなった。」としている。その根拠に「マオ」(ユン・チアン)「黄文雄の大東亜戦争肯定論」そして櫻井よしこ編「日本よ「歴史力」を磨け」をあげている。これらの書き物は田母神氏の「意見」に沿った物を取り上げた物であって、何ら客観性はないし、これまでの戦争肯定論と全く同じ事を述べているに過ぎない。
 現代のいわゆる「歴史学者」と言われる秦郁彦教授ですらそのあたりのことは事実に基づいて発言されている。

 一読して防衛大学卒業生はこの程度の知識や理解力しかないのかと思う。
 
 いまから10年ぐらい前の話になるが、防衛大の山岳部がヒマラヤに挑戦したドキュメントがテレビで放映された。そのときのことだが、カメラマンやスタッフは何ともないのに、防衛大学山岳部の諸君は疲れ果てていた。そのとき僕は「防衛大の学生はたいしたことはない。俺たちの方が優れている」と思った。
 
 そして今回のいわゆる「論文」。体力もそうだが知力もたいしたことがない。

 石破前防衛大臣や安部元総理の取り巻きが戦争について威勢の良いことを言っているが、彼らは民主教育や、憲法を守るといった基本的な事を学んでない。戦争を「かっこいい」とか「やっつける」といった全く空虚な事を夢見てるノー天気な人たちではあるが、実に危険な人たちなのだ。

 もう一度日本国憲法を読んで見ませんか。
 もっとも彼らは日本国憲法を「関係ない」と言うでしょう。
 そのような人がいる限り、戦争という悲劇はなくなりません。